おかぴーのFIREへの道

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コロナに負けない!元気をくれるお勧め厳選書籍!

今日は、晴れて2月14日のバレンタインデーに2歳になった娘と妻とで、初めて、お台場にあるレゴランドに行った。

 

 

子育てでストレスが溜まっている妻が、子育て仲間から「レゴランドいいよ。回数券買えば、3回でもと取れるよ」とお勧めされたからである。

 

 

前日、レゴランドのホームページで、使いにくいUI/UXに苦労しながら、前売りチケットをスマホで購入。翌朝11時に、ほぼ時間通りに(いつもは車だと、必ず道を間違えるのだが)お台場のDecks内にあるレゴランドに到着。

 

 

レゴランドに入場すると、なぜか懐かしのジャミロクワイの音楽が、、、。それに合わせて、娘も微妙にズレたタテノリで、ご機嫌に踊り始める。お出かけ早々から、微笑ましい風景である。。。

 

 

忍者屋敷のようなアトラクションがあり、まだ2歳の娘は、壁をよじ登ったり、高いところからジャンプして降りたりするような高度な芸当はできない。

 

 

なので、私が娘をかついで、40代半ばの老体に鞭打ち、アトラクション内を、移動するのである。

 

 

ここ最近、腰痛で悩んでいる身としては、腰をかばいかばい、汗だくになりながら、息も絶え絶えに、すくすくと育ち2歳で13キロを超える娘を、両腕で抱えてアクロバティックな動きをするのは、かなりきつい。

 

 

でも、そんなおてんば娘の楽しそうな笑顔を見ていると、疲れも吹き飛んでしまうから不思議である。

 

 

話は変わるが、先日、NHKクローズアップ現代という番組で、あるシングルファーザーが、最愛の一人娘と無理心中を図ったという、大変、痛たましい事件があったことを、たまたま知った。

 

 

コロナ禍で、家計が経済的に苦しい時に、父親がうつ病を発症し、精神的に弱っている時に、娘さんが大学進学を、経済的な理由から1年先延ばしせざるを得なくなった。

 

 

思い悩んだ父親は、学費ローンの保証人になってもらうよう親戚にお願いしようと色々、思い悩んだ末、結局、誰にも相談できず、ある日、自ら悲惨な結末を選択したそうだ。

 

 

聞けば去年1年間で、全国で起きた心中の数は46件で、101人の方が亡くなっている。その半数が新型コロナウイルスで感染者が増えた10月以降に集中しているらしい。

 

 

こういうニュースを見ていると、コロナと言うのは何とも得体のしれないモンスターだと、つくづく感じる。人を経済的にも社会的にも隔離させて、孤独な状況に追いやるのである。

 

 

こんなコロナ禍において、私自身も少ないからず辛い状況の中で、たまたまある一冊の本に巡り会った。それはかつてのプロ野球界のスーパースター清原和博氏の著書「薬物依存症」である。

 

 

著者は、その本の中で、自分がどうやって薬物依存に落ち入って行ったか。また、自分の逮捕が原因で母親が痴呆症で亡くなり、数々の苦難にもがき苦しみながら、周囲に支えられて立ち直っていく過程を、赤裸々に描いている。

 

 

非常に臨場感があり一気に読めてしまうおすすめの本で、是非、興味のある方は一度手に取って読んでみて欲しい。

 

 

僕は正直、その本を読むまでは、清原さんに対して、あまり良いイメージを持っていなかった。それは、薬物依存で捕まったという、ダークなイメージだからではない。

 

 

どちらかと言うよりは、「番長」という週刊誌に作られた架空のイメージに踊らされ、本当はそんな人じゃないのに、そのイメージを無理やり演じているような清原氏に何か違和感のようなものを感じていたからだ。

 

 

どちらかと言うと、PL学園で甲子園で大活躍した清原さんは、豪快ながらも、繊細かつ優しいイメージがあり、そのイメージとのギャップがあまりに大きすぎたのかもしれない。

 

 

この本を読んだあと、僕は清原さんのことが、大好きになってしまった。ここまで赤裸々に自分の罪や弱さをさらけ出し、自分の罪について深く反省し、今も再び薬物依存にならないよう怯えながらも、必死に努力を重ねている姿は、本当に勇気を与えてくれる。

 

 

また、かつてのスーパースターと言うよりは、弱さを抱えた生身の人間らしい姿に、純粋に共感を覚えたのである。

 

 

そんな清原さんの復活のきっかけになったのは、清原さんの次男が、清原さんに野球を教えて欲しい、と懇願し、息子と再会できたことがきっかけらしい。自分の息子に野球を教えることを通じて、自分の「拠り所」を見つけ出し、それを支えに薬物依存からくる重度のうつ病を乗り越えたのである。

 

 

ふと我に立ち返って見ると、自分もコロナ禍の去年の4~5月ごろは、大変だったなあ、、としみじみ感じる。

 

 

自分の苦境なんて大したことではないかも知れないが、去年の2月に転職して、直後にいきなりの緊急事態宣言である。在宅勤務を強いられ、会社の同僚なんて誰も知らない状況下で、同僚がいきなり会社を辞めたり、会社方針もあり、やりたいことがほぼできない状態で、かなりの孤独感や虚無感を感じたのは事実である。

 

 

それなりに辛かったが、そんな時に「拠り所」になってくれたのは、今、レゴランドの休憩室で、私の目の前で幼児用甘口カレーを、美味しそうに、ムシャムシャほうばっている、この愛娘である。

 

 

このコロナの辛い状況でも、明るく逞しく生きている娘を見ていると、自分のちょっとした辛い事なんて、何とでもなる、と思ってしまう。

 

 

これは自分の勝手な憶測だし、こういう事を憶測で語るべきではないのだろうが、シングルファーザーの親子が悲劇的な末路を余儀なくされ、清原氏が薬物依存とそれから生じるうつ病から立ち直ることができた、そのちょっとした差は「拠り所」なるものの存在に、素直に頼れたか、どうかによるのかもしれない。

 

 

人は皆んな弱い生き物である。また弱みを見せることを嫌がる生き物である。それゆえに、人に頼ることを、ためらってしまう生き物である。

 

 

だた、やっぱり頼っていいんだと思う。人を頼ること、「拠り所」を見つけることは、とっても尊く、かけがえのないものだし、生きる力を与えてくれるから。

 

 

頼られた方も、逆にそれが生きがいになったりするものである。僕も娘の拠り所になっていると勝手に思うことにしてるし、実際にそう強く思っている(少なくとも小学校低学年までは、そう思わせてくれ・・・)。

 

 

レゴランドで、おてんば娘とランチを食べながら、しみじみと、そう感じる今日この頃である。

 

 

肝心なことを言い忘れたが、こんな素敵な「拠り所」を僕に授けてくれた妻には、ただただ感謝である。娘が元気で明るく育ってくれてるのは、妻が僕たち家族の「拠り所」となっているからに他ならない。

 

 

コロナ禍で予期せぬ困難に遭遇している人は、先を見通せずに絶望を感じている人も多いだろう。そんな困難な状況に陥っている人こそ、何でもいいので「拠り所」を見つけて欲しいと思う。

 

 

上記の清原さんの書籍で元気づけられるも良し。大好きな町中華で瓶ビールを飲みながら餃子&ラーメンをつつくも良し、行きつけの銭湯で整えるでも良し、寝る前にYoutubeを観ながら、日本酒をチビチビやるのも良し(全て自分の事を書いてます・・・)。

 

 

また、どうか気づいて欲しいと思う。自分が実は誰かの「拠り所」になっていることに、、、と思う今日この頃である。

 

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